チャールズ・コーンとカール・グリーンリーフ
Connの創業者チャールズ・コーンはC.G.Connの成功によってたくさんの雇用を産み出し、エルクハートの名士として街の有力者になりました。
工場火災の時は、エルクハート市が融資を申し出たことからわかるようにチャールズ・コーンは市でかなりの権力者になっており、電力会社や出版社の株も大量に保有します。
ですが多角経営の失敗から負債を抱え1915年に投資家のカール・グリーンリーフにConnを売却します。
「C G.Conn Ltd」を造ったカール・グリーンリーフ
こういった経緯を見るとグリーンリーフのことは
”創業者と違って楽器のことはわからないビジネスマン経営者”
と言うイメージを持ってしまいますが、彼が社長に就任後「C G.Conn Ltd」になり、Connの名機が全て「C G.Conn Ltd」時代に生まれていると言うことも事実です。
そういった面を見るとただのビジネスライクな経営者ではないことがわかります。
ですが早くからアマチュアや学生市場の開拓に力を入れ
(音楽教育を通して楽器人口を増やす、と言う土壌を作り上げた教育面の貢献
もありながら)
その結果安い楽器を大量に生産・販売する、と言う「アメリカ的楽器戦略」を確立したのも間違いなくグリーンリーフです。
リー・グリーンリーフ時代に衰退
1950年〜1960年代にカレッジ・クラスの低価格楽器と電気楽器を使ってアマチュア層を取り込んでいく戦略が完全に経営の中心になるのは息子のリー・グリーンリーフ時代ですが、
経営面を見過ぎたせいか楽器の品質がおろそかになります。
1960年代以降は日本、特に(同じ戦略の)ヤマハに価格と品質のバランスで完全に負けてしまいます。
このあたりは自動車業界と同じですね。
SelmerUSA(H&A Selmer)
Connと同じように、早くから「アマチュア・学生」市場に目をつけたのがH&A Selmer Companyいわゆる「セルマーUSA」です。
「セルマーUSA」が販売していたサックスなどに関してはまた別の記事で解説します。
「セルマーUSA」はもともとフランス・セルマーの創始者であるAlexandre とHenriのセルマー兄弟から1927年にGeorge Bundyに売却されたところから実質的なスタートを切ります。
セルマーUSAは1936年より小売販売店から卸売業へと大転換をはかります。
このあたりから販売網の拡大に力を入れ、アマチュア・学生をターゲットとした戦略へと特化していきます。
現代に名前が残るC.G.ConnとSelmerUSA
資本主義の必然としてサックス(木管・金管)製造業界も他の業界と同じく
徹底的な効率化に活路を見出して数あるメーカーが統合されて行った、というのが2000年初頭までの流れです。
アメリカでは特にそれが顕著で、楽器が「手工業から工場製品化」の流れに乗せられていきました。そして伝統ある有名ブランドがコングロマリット型企業のもとに集約されて、最終的にはブランド名だけが使われ、製品は中国製に入れ替えられ各老舗ブランドが築き上げてきた販売網を利用してそれらを流通させている感じです。
「これって楽器業界にとってヤバくない?」と一瞬思うのですが、よくよく考えてみると
楽器人口が増えるためには
楽器を楽しむ層の裾野を広げることが不可欠で
同時に上級者の音楽教育レベルも上げていく
と言うのが一番理想的な拡大方法でしょう。
そう考えると、1940年代からこの2つの方向性で成果を残したグリーンリーフのC.C.ConnとバンディのH&ASelmerの経営戦略はやはり先見の明があった、というところでしょう。
2021年、現在「Conn-Selmer」という形で「C.G.Conn」と「SelmerUSA(H&A Selmer)」のブランド名が残された、ということは、この2ブランドが共にアメリカ国内で最も「きめ細かな」販売網を築き上げたということの現れです。