Buescherのシリアル・ナンバー表の用語と”いろいろなBuescher”を解説
Buescherは創立当初から他のメーカーとの絡みが多いので、その背景など理解していないと流れが理解できないところがあります。
そこでここでは表中にあるいくつかのメーカー、団体について解説します。
※今回の記事は以下の記事の補足解説です。
目次
- Selmer USAと”Buescher”
- Buescherと「OMEGA/オメガ」
- union/ユニオン
- Elkhart Band Instrument Company/エルクハートと”Buescher”
- Harry Pedler&Sons/ハリー・ペドラーと”Buescher”
Selmer USAと”Buescher”
↑左がSelmerUSAに買収された後のBuescherのAristocrat。右が同じ時期のSelmerUSA Bundy。ロゴ刻印が違うだけで全く同じ管体です。
前回記事のシリアル・ナンバー表をご覧いただくと分かる通り、Buescherは1962年よりSelmerUSA(正確にはH&A Selmer)に買収されます。
これ以降、BuescherはセルマーUSAのもとで「アマチュア・学生向けの非プロ・モデル・ブランド」となります。
Buescherが買収された1960年代〜1970年代において、アメリカの管楽器ブランドほぼ全てに共通しているのが
「アマチュア・学生向け市場へのシフト」です。
どのメーカーも(そしてトランペットなどの金管楽器も)この時期以降アメリカ楽器業界はコスト・ダウンとアマチュア向けの「安い楽器」を造ることに力を入れ始めます。
そういった流れの中で
当時、すでにアマチュア・学生向けサックス市場を拡大していたSelmerUSA(H&A Selmer)は
1958年から(買収したHarry Pedler & Sonsの製造工場で)自社製造を始めた「Bandy/バンディ」ブランドとあわせて
Buescherブランドの「簡略化した管体」をアマチュア・学生市場に投入し、その後さらにコスト・ダウンを求めて中国製サックスへとシフトしていきます。
1983年にBuescherブランドを廃止していますが、
2003年のConn-Selmer設立後、現在はまたBuescherモデル名を復活させ、中国製サックスに「400」と「Aristocrat」の名を冠して
- 「AS/TS400」と
- 「AS/TS600(Aristocrat)」
としてアマチュア・学生クラスのサックスを販売しています。
Buescherと「OMEGA/オメガ」
↑オメガを見分けるには、このベル部ロゴ周りの彫刻デザインが一番のポイントです。 このデザインがないものは「オメガ」ではありません。アルト、テナー共に同じデザインが入っています。
1983年、セルマーUSAは「Buescher」ブランドを廃止しました。
その前後、このBuescherのノウハウを使ってセルマーUSAとして最初で最後の「自社製プロ・モデル」を開発します。
- 1982年から162アルト(シリアル・ナンバー:820000〜8240xx)
- 1984年から164テナー(シリアル・ナンバー:8215xx〜8240xx)
この162と164モデルが「OMEGA/オメガ」です。
かつてのアメリカン・ブランドの再興を試みた?
ちなみにこの時期1980年代後半〜1990年代は、
- C.G.Connが“DJHモディファイド”
- KINGが“Super21”
を販売しており、このH&A Selmer(ではありますが実質Buescherの)”オメガ”と併せて「かつての名門アメリカン・ブランドがプロ・モデル再興を試みた」という流れが見えて興味深いですね。
union/ユニオン
↑1880年9月、シガーメーカーズインターナショナルユニオンオブアメリカのメンバーのタバコ製品に貼られたユニオンラベル。ニューヨーク州立アーカイブ 画像元:WOMEN AT THE CENTER
シリアル・ナンバー表中の「union」とは「労働組合」の事です。
アメリカでは1886年に本格的な労働組合組織「AFL」が設立されました。
Beascherが創業されるわずか10年前の話です。
この当時のアメリカは工業化まもない時代で、工場で働く人々の権利が確立されておらず労働者は「安い賃金でこき使われる」のが一般的でした。
そんな中、AFLを筆頭に「労働者の人権と正当な賃金を労働者自身で守ろう」と言う運動が広まり、労働組合(union)ができていった時代でした。
unionはそれぞれの業種単位で組まれました。例えば靴製造の労働組合、タバコ産業の労働組合…といった感じです。
factory Stamp/ファクトリー・スタンプ
↑1960年代のアメリカ製シューズに残るFactoryスタンプ。画像元:Freek2Freek
unionに加入した製造業は「union承認の工場で製造した」という証として製品にunionのfactoryスタンプが入れられました。
サックスに入れられたfactoryスタンプは、Buescherの1914年あたりの“True-Tone”に見られます。
↑union stampが入った Buescher Truetone。 画像元:ebay
またC.G.Connの”Wonder Improved“でも見ることができます。Connの歴代モデルの解説は、以下の記事でごらんください。
1960〜1970年代にはアメリカ国内において「unionのスタンプが入っていない製品は買うな!」といったキャンペーンも盛んだったようです。
Elkhart Band Instrument Company/エルクハートの”Buescher”
↑1927年頃製”Buescher合併直前”のエルクハート・アルトサックス 。まだBuescherの名前が入っていません。初期のエルクハートは彫刻が凝っています。エルクハート・ブランドがなくなるまでこの「シカにハート」がトレードマークになります。
Elkhart/エルクハートは、アマチュア・学生市場向けの管楽器とステンシル向け楽器を製造したブランドです。
1923年にアンドリュー・ピアズリーと当時のC G.Conn社長カール・グリーンリーフがエルクハートを設立しました。
アンドリュー・ビアズリー/Andrew Hubble Beardsleyとは
アンドリュー・ビアズリーは1919年以降のBuescherの社長です。
1916年にBuescherの創立者Gus・Buescherはそれまでの工場火災や大恐慌の影響で財政難に苦しんでおり、地元の起業家アンドリュー・ビアズリーらの金融パートナーにBuescherを売却します。
その後、経営的な方針でGus Buescherは1929年まで副社長の座に残る事になります。
ちなみにC.G.Connも同じく1915年に創立者のCharles Gerard Connが多角経営失敗のため投資家のカール・グリーンリーフにConnを売却しています。(ここからC.G.Conn.ltd商標に)
この2人(ビアズリーとグリーンリーフ)が共同出資でElkhartを設立したわけです。
Buescher Elkhart
↑Buescherと合併後のエルクハート・サックス。初期と同じシカの図柄の下に”BUESCHER”と彫刻されています。それにしても初期と比べるとデザインがかなりザツに見えます。
設立から4年後の1927年にElkhartはBuescherと合併、1936年にピアズリーが亡くなった際、会社は解散しましたが、Elkhartブランドは1959年まで使用されました。
e-bayでたまに見かける”Buescher Elkhart“と記載されているサックスはこの時期のものです。
…合併に関しては正確な記録が残っておらず、
実はElkhartがBuescherに合併されたのではなく、逆に「BuescherがElkhartに吸収された」のではないか、と言う説もあります。
この説の根拠は…
- この時すでにグリーン・リーフらConnの幹部はConnの「伝統」よりもアマチュア市場の開拓、より安価な楽器を大量に供給する戦略に将来性を感じていた
- (起業家・投資家の)ピアズリーとグリーンリーフにとってBuescherもElkhartも投資対象
つまりピアズリーらにとってはBuescherとElkhartの重要性は
- “BuescherとElkhartどちらがレベルの高い楽器を作っていたか”よりも
- どちらが経営的に将来性があるか”
だったことを考えるとこの説の方が現実的で納得が行きます。
1936年、Elkhartは会社として解散します。(この年ピアズリーが亡くなったため)ですが、ElkhartブランドはBuescher〜selmerUSAの中で1960年代まで使われました。
↑Conn-Selmer Europe のHP。アメリカにはありませんが、”Elkhart”のいろいろなバリエーションが販売されています。ちなみにアメリカは同等モデルが”Prelude“と言うブランドです。
そして2021年現在、Conn-Selmer Europe/コーンセルマー・ヨーロッパにおいて再びElkhartブランド(ステューデント・モデル)を復活させています。
ただし、過去のエルクハートではなく、Conn-Selmer下のBach系列にあたるようです。
Harry Pedler&Sons/ハリー・ペドラーと”Buescher”
↑”Harry Pedler&Sons”の”American Triumph”モデル トランペット。
「Harry Pedler&Sons」は1932年にBuescherを離れたGus Buescherとハリー・ぺドラー/Hary Pedlerによって設立されました。
”Harry Pedler&Sons”が彫刻された楽器は主にトランペットが多く、サックスとして馴染みのあることと言えば、「後にセルマーUSAの”バンディ”初期モデルを製造する工場になった」という事くらいですね。
ハリー・ぺドラーはもとConnでクラリネットを造っていた人物ですが、すでに1916年に「American Manufacturing.Co」という木管製造会社(クラリネットがメイン)を立ち上げていました。
Hary Pedlerに関してはこの「Harry Pedler&Sons」の他に
- 「Harry Pedler&Co」
- 「Art Musical Instrument」
の名義で楽器が残っています。”Harry Pedler“のブランド名が彫刻された「Martin」管体などもあり若干ややこしいので、ここでそれぞれのブランドについて解説します。
American Manufacturing.Co/Harry Pedler&Co
↑”Harry Pedler&Co”の”Custom built”B♭メタル・クラリネット
1916年 ハリー・ぺドラーはC.G.Connでのクラリネット職人時代の同僚ウィリアム・グロナートとクラリネット製造の会社を立ち上げました。これがAmerican Manufacturing.Coです。
ちなみにConnに入るようぺドラーを誘ったのはグロナートでした。
1919年グロナートが亡くなり会社はぺドラー名義になります。
その際、ぺドラーは会社名を「Harry Pedler&Co」に変更しました。
1930年にぺドラーは引退し会社をマーティン/Martinに売却しています。(幹部職に親族は残したままでした。)この会社「Harry Pedler&Co」はMartin傘下でMartinステンシルや安価なメタル・クラリネットなどを製造、販売しました。(下記の“&Sons”と別会社です!)
Art Musical Instrument.Co
↑左が”American Triunph”モデル(サックス)のArt Musical Instrument期の彫刻。下に”BUESCHER”の文字がデザインされています。右がGus Buescher死去後の”Harry Pedler&Sons”期の彫刻。同じく”American Triumph”モデルです。
上記の通り、1932年にBuescherを離れたGus Buescherとハリー・ぺドラー/Harry Pedlerによって金管と木管の製造会社が設立されました。
これが「Art Musical Instrument.Co」です。
ハイエンド・モデル“ART”と廉価モデル“AMERICAN TRIUMPH”の2ライン展開でした。
管体にはモデル名と“Art Musical Instruments.Inc. FA Buescher.Pre.”の彫刻が見られます。(上左の画像参照)
1937年 Gus Buescherが逝去し、ぺドラー名義となった会社は「Art Musical Instrument.Co」から「Harry Pedler&Sons」に社名を変更します。(上右の画像参照)
1958年 セルマーUSA(正確にはH&A Selmer)に買収されます。
セルマーUSAは“Bundy”ブランドの製造をこのハリーぺドラー工場でスタートさせます。