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ジャズの歴史はアメリカの時代背景とマイルス・デイヴィスの歩みを知るともっと面白くなる!

投稿日:2019年7月10日 更新日:

ジャズにはいろんなジャズがあります

画像出典:ウィキペディア

今回はサックス好きのみなさんのために、ジャズの歴史について大まかに解説できれば、と思います。

記事のポイントは2つです。

  1. アメリカの歴史とジャズの進化はリンクしている
  2. 「ビックバンド・ジャズ」以降のいろいろなジャズは、マイルス・デイビスを追っかけると理解しやすい

ジャズにはいろいろなジャズがあります

サックス好きなら避けては通れない『ジャズ』。最近はいろいろな音楽ジャンルが一般化してきて必ずしもサックス=ジャズではない気もしますが、それでも「アドリブ」や「管楽器が主役のポピュラー音楽」など、サックスには欠かせない要素は全てこの「ジャズ」の中で育ったといって良いでしょう。

そんな「ジャズ」ですが、一口に「ジャズ」と言ってもみんなが認識しているジャズってひとそれぞれだったりします。

例えば、「え?君もジャズ好きなんだ?オレも!」みたいな感じで盛り上がっても、いざ「で、どの曲が好き?」みたいな話になると

「デューク・エリントンとか…ビック・バンド?みたいなの!」って言う人もいれば「やっぱりサックスはチャーリー・パーカーでしょ。」っていう人も「ビャー!って叫んでるような音が一番サックスって感じ!」って言う人もいたり…

「映画音楽みたいなジャズが好き」とか「バーとか飲み屋さんの雰囲気のジャズとか…」っていう方もいたり。

それぞれ「スィング・ジャズ」をジャズの全部と思っている人、「ビ・バップ=ジャズ」な人などなど…つまりジャズっていっても意外にいろいろなスタイルがある、ってことなんです。

といった訳で、ジャズは世界中でいろんなミュージシャンの活動でそれぞれ独特のカラーを持って多様性が深まっている音楽ですが、何といってもジャズの始まりはアメリカです。

ジャズはアメリカの歴史と切り離せません。

そこで今回は、19世紀以降のアメリカで起きた大きな出来事と、ジャズの発展の流れを見比べてみる事にします。

アメリカの大まかな歴史の流れを知っておくと、なぜフリー・ジャズが生まれたか?とか、どうしてマイルス・デイヴィスが「ジャズの帝王」と言われていたのか、なんていう事が見えてくると思います。

アメリカでは”国を代表する純粋なアメリカ文化”として扱われているジャズ

<↑2013年のケネデイ・センター名誉賞のようす。HIPHOP(これもアメリカ文化といえる音楽ですね)の大御所Snoop Dogg/スヌープ・ドッグがJAZZの大御所 「Herbie Hancock/ハービー・ハンコック」の名曲『カンタループ・アイランド』をサンプリングしたUs3の「カンタループ」でパフォーマンスした後、観覧席のハービーに”HIPHOPを生み出してくれてありがとう!”と言っているのが印象的です。>

ジャズが「アメリカ文化」として認識されているとても分かりやすい例があるのでご紹介します。

アメリカでは、「ケネデイ・センター名誉賞」という賞があります。

これは年に1度、アメリカ文化に貢献したアーティストに送られる賞で

授賞式には大統領夫妻も出席します。つまり、グラミー賞のような商業的な意味合いよりも文化的貢献度を称賛する意味合いが強いものです。

このケネデイ・センター名誉賞の歴代の受賞者を見ても、毎年と言って良い程

ハリウッド・スターとロック・スターそして

ハービー・ハンコックやウェイン・ショーターなどジャズ・ミュージシャンが選出されています。

このことからもジャズが、ロック・ポップスやハリウッド映画と並んでアメリカを代表する大衆文化として位置付けられているのが分かります。

アメリカの時代背景と切り離せないジャズ

それでは、ジャズがアメリカで生まれてからアメリカ独自の音楽として育っていった経緯を追ってみましょう!

《ニューオリンズ・ジャズの誕生》

↑ニューオリンズの路上演奏。ニューオリンズ・ジャズが生まれた頃はこんな楽器構成と演奏スタイルだったんだでしょうね。

アメリカはご存じの通り、ヨーロッパからの移民によって造られた国です。16世紀にヨーロッパで中世の封建社会に嫌気がさした人々が新天地を求めてアメリカ大陸にやって来たと言われています。そしてニューオリンズ・ジャズの誕生は、アメリカの『黒人奴隷制度』と切り離せません。

ヨーロッパでは15世紀くらいからアフリカの人々を奴隷として輸入する経済文化が出来ていて(大西洋奴隷貿易wikiを参照)、ヨーロッパから移住してきた人々は当然、黒人の人たちも一緒にアメリカに連れてきたのでした。

こうした黒人の人々が、ヨーロッパの室内楽で使われていた楽器(クラリネットやバンジョーなど)でアフリカ・リズムをミックスして作ったと言われるのが「ニューオリンズ・ジャズ」です。

 

《禁酒法によるジャズへの影響〜ビックバンド・ジャズ スイング・ジャズ》

↑アメリカ禁酒法時代に「コットン・クラブ」の専属バンドとして有名になったデューク・エリントン楽団はビック・バンド・ジャズの代表格です。他にもルイ・アームストロングやナット・キング・コール、ビリー・ホリディなどもこの時代のスターです。

1920年代から1930年代までアメリカでは「禁酒法」といって、全面的にお酒の製造・売買を禁止する法律が施行されました。(ただしお酒を飲むことは禁止されていませんでした)

これはお酒による風紀の乱れを排除する、という考えから支持されたようですが、この法律がかえって「密造酒」の売買を盛んにし、そのおかげでギャングが力をつけ、お酒に絡む娯楽が栄えました。そして、これら娯楽の舞台「ナイト・クラブ」(コットンクラブ wiki参照)でビック・バンドによるジャズの需要が高まり、たくさんの楽団が作られました。

《1950年代 戦勝国として繁栄し、大衆文化が花開く→ビバップの誕生》

↑ビバップの2トップ、チャーリー・パーカーとディジー・ガレスピー。若い頃のマイルスはチャーリー・パーカーのもとで腕を磨きました。

1941年に第二次世界大戦に参戦したアメリカでしたが、終戦(1945年)後は戦勝国として、また列強国の中で唯一、自国を戦場にしていない国として好景気に沸き、その中で娯楽文化が栄えました。1930年代に引き続きジャズはエンタメ業界の中心となり、プロのジャズ・ミュージシャンが各地のお店で演奏することで生活できる環境が生まれました。

ジャズ界ではたくさんのミュージシャンが生計を立てる中、少人数での演奏が主流になりつつあり、次第に個人の技術・演奏力=アドリブ力を競うようになります。

こうした中で生まれたのが共に「バカテク・プレイヤー」として有名だったチャーリー・パーカーとディジー・ガレスピーによる「ビ・バップ」でした。

ビ。バップは、当時のポップスのコード進行だけを借りて、その上でいかにコード通りにアドリブできるか、というものでした。

「ビ・バップ」の演奏は時代を反映してメジャー調なものがほとんどで、明るくてテンポが早いのが特徴でした。

マイルス登場。以降はマイルス・バンドの進化=ジャズ・トレンドに

ビ・バップ全盛期に実家を離れ、チャーリー・パーカーの元でジャズ・トランペッターとしての武者修行を始めたマイルス・デイビス。チャーリー・パーカー・バンドの一員として生活しながら、アルバム「クールの誕生」を独自にレコーディングする機会をつかみます。

《1950年代後半 マイルス登場。〜マイルス、クール・ジャズ=おしゃれなジャズを確立》

↑クール・ジャズと言われた時期のマイルスの代表作「so what」。ジャズ・アドリブの方法論として最大の革命と言われる「モード」の概念を初めて取り入れた曲として有名です。

チャーリー・パーカーの元で修行していたマイルス・デイビスは、ビ・バップの高速プレイがあまり得意ではないと感じ、もっとサウンド全体を作り上げるジャズがしたい、と思うようになります。こうして生まれたのが彼の代表作「クールの誕生」です。このアルバムで表現したジャズは、「クール・ジャズ」と呼ばれるようになります。

自分独自のジャズを確立する道を歩み始めたマイルスは、次第にジャズに「知性・芸術性」を加えていきます。

この時期にマイルスはフランスで「死刑台のエレベーター」のサウンド・トラックを手掛けます。

ヌーベル・バーグというフランス映画のムーブメント=ジャズのイメージもこの辺りから来ています。

カフェで流れるいわゆる「お洒落なジャズ」は、この時期のマイルスのアルバムを抑えておけば間違いないです。

夜に合うオシャレなジャズ10選

 

《1960年代 べトナム戦争からはじまる強いアメリカへの国内不信、公民権運動 〜マイルス、ハード・バップ・ジャズで娯楽から芸術に》

娯楽と大衆文化が盛り上がった50年代でしたが、50年代後半に始まったベトナム戦争は次第にアメリカに影を落としはじめます。 そう言った世の中でマイルス・バンドのジャズはマイナー調で激しく、50年代に手に入れた「モード」手法を駆使して、混沌としたアドリブ・プレイで元曲がわからなくなるほど曲を解体・発展させる、という「芸術性」を追求していきます。

60年代は、マイルスによってジャズが「大衆娯楽」から「芸術」に進化した時期といえます。

↑黄金クインテッドと呼ばれるマイルス・バンドの絶頂期メンバー。ドラムのトニー・ウィリアムスはこの頃17才。saxのウエイン・ショーターとピアノのハービー・ハンコックは未だにジャズ・レジェンドとして新しいサウンドを生み出しています。

この頃から1980年にかけて、50年代にアメリカで有名になったジャズ・ミュージシャン達がヨーロッパに活動の拠点を移しました。

これはいろいろな新しいジャズが生まれたことで、昔有名だったジャズメンはアメリカで活動するよりも海外の方が稼げる状況になったからだと言われています。

《1970年代 ヒッピームーブメントからフリー、サイケ、クロスオーバーが生まれる〜マイルス、エレクトリック・ジャズを生み出す》

↑この時代の「フリー・ムーブメント」の影響でオーネット・コールマンは「コード進行」を完全に取り払った「フリー・ジャズ」を産み出しました。マイルスも「フリー」には興味がありましたが、「音楽理論の上に成立するフリー」を模索していました。その答えが「電気楽器の導入」そして「クロス・オーバー」でした。

ベトナム戦争が泥沼化し、若者を中心に反戦運動が盛んになることで、アメリカでは「フリー・ムーブメント」が盛んになります。これは「みんな平和になるには好きなことだけを自由にやって、好きなように生活するのが一番」という運動でした。この影響で「白人社会にも」ドラッグが蔓延したアメリカでは(サイケデリック・ロックwiki参照)「アート」「映画」「音楽」において伝説的な作品が数多く生まれました。(ヒッピー wiki参照)

音楽の世界ではジミ・ヘンドリクスやジャニス・ジョプリンなど「伝説」として色あせないバンドが数多く生まれ、まさにロック全盛でした。エレクトリック・ギターに見られる音楽のエネルギーやパワーに早くから目を付けていたマイルス・デイヴィスを筆頭に、ジャズの世界にもエレクトリック楽器とロックの基盤が取り入れられ、「クロス・オーバー・ジャズ」と呼ばれる音楽が生み出されるようになりました。彼の「クロスオーバー」の柱は「アフリカ的ポリ・リズム」と「ジミヘン的ギター・サウンド」の融合でした。この時期以降のマイルスは、リズムの探究にウェイトが置かれました。

↑マイルスも「ロック」の流行に反応します。当時のマイルス・バンド・サウンドの要は管楽器ではなく「ジミヘンのようなギターが弾ける」ギタリストでした。

《1980年代 クロスオーバーからフュージョンやA.O.Rが生まれ発展〜マイルス、フュージョンで復活》

クロス・オーバー・ジャズは80年代になって「フュージョン」というジャンルを確立し、より人気を集めるようになります。

↑1975年から「引退」していたマイルスは1980年にマーカス・ミラーという若いブレーンを得て復活を果たします。その時の音楽がこれ。完全に「アーバン・ミュージック」にスタイルを変化させたマイルスにファンは驚きましたが、まさに80年のトレンドに乗ったスタイルでした。

1980年代といえば、アメリカとソ連の冷戦です。ニクソン大統領の「ウォーターーゲート事件」というアメリカ国民を裏切る大事件から始まった70年代により、「強いアメリカ」という国内の求心力が大幅に衰える中、80年代にはカーター大統領、そしてハリウッド・スター出身のレーガン大統領による政治政策によりキューバとの戦争回避(キューバ危機)ソ連崩壊による「冷戦の終わり」や「ベルリンの壁撤去」など、世界的ないがみあいの象徴が次々と終わりを告げた年代でもありました。

そういった裏で、アメリカによるイスラム圏やアフリカの国々への裏操作など陰湿な「見えない世界戦」の始まりを思わせる年でもありました。(コントラ事件 wiki参照

この時期、5年の沈黙を破って復活したマイルスが発表したのは、お洒落で完全にPOPSよりなサウンドでした。

《1990年代以降〜マイルスはFUNKジャズとHIPHOPジャズへ》

↑90年代のマイルス・バンドは完全に「アドリブをエンタメするファンク・バンド」としてそのスタイルを確立しました。

ジャズに限らず音楽全般にいえることですが、過去に枝分かれしたジャンルが同時に存在してどんどん多様化し始めた時代です。これは現在でもその延長線にあると言えるでしょう。ビバップも、フュージョンも、モダン・ジャズもどれかが主流にある訳ではなく、それぞれのジャンルが交流し、継続しています。

この頃のマイルス・バンドはファンクを中心とした音楽スタイルでした。ファンクと言ってもPOPS界の「ファンク・ミュージック」をジャズとして発展させたもので、ワンコードの上で違うキーのアドリブを展開する「アッパー・ストラクチャ・トライアド」と言われる独特なアドリブ方法論を駆使するバンド・メンバーによって、アドリブとダンス・ミュージックの可能性を追求する、というものでした。この流れは彼の遺作「DoーBop」でHipHopをとりいれるところまで発展しました。

また、ジャズ界のメイン・ストリームでは音楽大学を出て、あらゆる過去のスタイルを吸収しながら自己の世界を模索するというハイ・テクニックなミュージシャンが目立つようになってきたのもこの年代です。

↑最後にHipHopとの融合を模索していたことがわかる遺作「Doo-bop」の中の一曲。

まとめ〜マイルス以降

いかがだったでしょうか。こうやって年代順に見てみると,マイルスの築いたジャズ・スタイルから枝がわかれ、育って行ったことがわかります。

しかしマイルス・デイヴィスが亡くなっておよそ30年経ちますが、マイルス・バンドで彼に育てられたプレイヤー達〜ハービー・ハンコックやウエイン・ショーターやチック・コリア、マーカス・ミラー、ケニー・ギャレットなど〜が未だにジャズの「クリエイティブ」領域の第一線でジャズ界を引っ張っている、という感じがします。

マイルス・デイビスが時代背景に反応し、これだけバンド・メンバーと音楽性を変化させつづけたのは、

彼が考える「JAZZ/ジャズ」とは、ある限られた音楽形式ではなくて「音楽の中で新しい試みをし続ける」ことだったからです。(一部では、未だに後期のマイルスはジャズじゃない、と言われたりしていますが、これは”ジャズ”の解釈の違いです。)

このことを理解し、継承している存在として一目置かれているのが「Robert Glasper/ロバート・グラスパー」とその周辺のミュージシャン(Kamasi Washington/カマシ・ワシントンTerrace Martin/テラス・マーティン)達です。

彼らが参加した、HipHopアーティストKendrick-Lamar/ケンドリック・ラマーのアルバム「DAMN(2017年)」は、「現代のアフリカ系アメリカ人の人生の複雑さを表現している」としてピューリッツァー賞を受賞しました。

Kendrick-Lamar/ケンドリック・ラマーに見る”JAZZ性”のHipHopへの継承

彼はHipHopアーティストなのでジャズとは直接関係ありませんが、1stアルバムのリリース当初から人種の壁・偏見にまつわる物議がつきまといながら、常に試行錯誤する制作姿勢が支持されている点や、若手の有望なJAZZミュージシャン達を起用して音ネタを制作し、スクラッチ&ビルドで音世界を構築してく点など、まさに「最盛期のマイルス」の現代版なのです。「新しい音楽を試行錯誤し続けることがJAZZ」であるとしたら、現代ではHipHopの方が”JAZZ”しているかもしれません。

https://www.youtube.com/watch?v=pIZ6l-mVHVg

ロバート・グラスパー(piano)と、これも各方面で人気のカマシ・ワーシントン(sax)。テラス・マーティン(singer/rapper)もいます。

世界で最もパワーのある音楽ジャンル〜ブラック・ミュージック〜の中心はすでにHipHopに完全移行してしまいましたが、冒頭のスヌープ・ドッグのスピーチがあらわしているように

ジャズはアメリカン・ミュージックのルーツとして、素養として、楽器奏者にとっては避けて通れない音楽としてこれからも存在し続けるでしょう。

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